📘 第1章 Episode20
第一章完結:鶯谷で学んだ暗黙のルールと麻痺の代償
目次
🌙 夜の仕事の積み重ねがもたらした視点
鶯谷の街を毎晩走り続けるうちに、景色は仕事の一部になった。
初めは緊張で視界が狭まり、指示された道をただなぞるだけだったが、
半年も経てば街の動きや雰囲気の変化を自然と読み取れるようになる。
ホテル街の明かり、人通りの増減、路地に停まる車の位置――
その日の街の「状態」を判断するための材料は、毎晩積み重ねてきた記憶にあった。
当初の恐怖や戸惑いは、習慣の中に吸収され、代わりに冷静さと諦めが備わっただけだ。
街は非日常の場所ではなく、仕事をこなすための現場となり、見慣れた道は安全なルートとして脳に刻まれた。
夜ごとの移動と観察の繰り返しで、街の空気や人の動きがひとつのシステムのように見えるようになった。
この積み重ねは、次に何が起きても即座に対応できるための基礎になっていった。
📍 鶯谷エリアの暗黙ルールとネットワークの全体像
鶯谷の街は一見雑多だが、その裏には一定のルールと秩序がある。
それは明文化されたものではなく、業界の人間同士が暗黙の了解で共有している。
ホテル街への進入ルートは限られており、大通り側からの進入は避ける。
狭い路地では車同士が譲り合い、決まった方向からしか入れない道もある。
長年の経験と慣習で作られた動線は、送迎の効率と安全を守るためのものだ。
店同士の関係も単純ではない。ママ同士は情報を交換し、トラブルの際は協力し合う。
一方で、競合関係もあり、嬢や客の取り合いが静かに行われている。
送迎ドライバー同士も互いの存在を把握し、必要な場面では素早く情報が回る。
街全体が一つのネットワークで繋がっているような感覚があった。
その中で自分の役割はあくまで一駒にすぎない。
しかしその駒の動き一つで、業務の流れは大きく変わる。
街は生きており、ルールも人脈も、日々少しずつ形を変えていた。
⚠️ トラブルと危険の種類
この街の仕事には、表に出ない危険が数多く潜んでいる。
それは特別な事件ではなく、日常業務の中に当たり前のように存在していた。
一番多いのは、嬢の行方が分からなくなるケース。
急に連絡が途絶えるだけで、一日の流れが一気に変わる。
情報収集から追跡、別店舗への確認まで、探す行為そのものが業務の一部として組み込まれている。
客側のトラブルも少なくない。ホテルでの揉め事、料金交渉、飲酒絡みの問題。
多くの場合、密室を避けて対応する。それでも場を収めるには冷静さと経験が必要だ。
警察や税務、風営関係の影も常に意識する必要があった。
違法行為をしていなくても、街の構造上、見られ方ひとつで判断が変わる。
職質や検問は避けられないものと考え、ドライバーは常に対応のパターンを用意していた。
この業界における「リスク管理」は、曖昧な境界線の中で生き延びるための必須スキルだった。
それを学ぶのに特別な研修はなく、現場での経験だけが唯一の教科書だった。
💤 第一章の締め:慣れと麻痺の裏にある疲弊
この街で働く中で、恐怖や驚きは次第に薄れていった。
それは安全になったわけでも、環境が変わったわけでもない。
ただ、心が慣れ、麻痺し、感情を閉じる術を覚えただけだ。
夜ごとの送迎、トラブル対応、嬢の行方不明、客との駆け引き――どれも繰り返しの中で“当たり前”になった。
だが、その「慣れ」は疲労の蓄積と同義でもあった。
緊張は解けないまま、身体の反応だけが鈍くなり、驚くべき出来事も「よくあること」として処理される。
それはプロとしての順応でもあり、同時に心を守るための本能だった。
気づけば、街の危険や騒がしさは仕事の一部として受け入れられ、自分自身もそのシステムの歯車の一つとして動いていた。
「麻痺」という鎧を纏わなければ、この世界では生き残れなかった。
➡️ 第二章への布石
鶯谷で過ごした数か月は、業界の仕組みを肌で理解するための教科書だった。
この街のネットワーク、ママ同士の情報網、嬢や客の動き方――すべてが一つの“システム”として自分の中に刻み込まれた。
だが、鶯谷はあくまで入り口にすぎない。似たような街や組織は、東京の他の繁華街や地方都市にも無数に存在している。
ここで覚えた暗黙のルールや危機管理の感覚は、次の現場でもそのまま通用するだろう。
裏社会の世界は、狭く、しかし底知れず広い。
この経験が終わりではなく、さらに深い場所へ足を踏み入れるための第一歩に過ぎないことを、自分でもうすうす感じていた。
鶯谷での生活は、幕を閉じても、その空気は体の奥に残り続ける。
そして、次に向かう場所は、もっと複雑で、もっと深い闇を抱えている――そんな予感だけが、静かに心に響いていた。
※記事内の出来事や人物は過去の経験を基にした記録であり、特定の個人や団体を誹謗中傷する意図はありません。

