第1章 Episode1:初めて踏み込んだ鶯谷の夜 – 裏社会の入口
夜の鶯谷駅を降りた瞬間、空気の匂いが変わった。湿った路地裏の匂い、ネオンに照らされる古びたラブホテル街、そして遠くから感じる視線。普通の街に見えるのに、どこか緊張感が漂っている。その夜を境に、私の人生は“裏側”へと少しずつ傾いていった。
誘いの一言と、看板のない店
当時の私は、昼間の仕事だけでは生活が成り立たず、家賃や生活費に追われていた。そんなある日、知人から軽い調子で声をかけられた。「夜の仕事、ちょっと手伝ってみない?」断る理由もなかった。むしろ興味が勝った。紹介されたのは、看板もない韓国系のデリヘル店だった。
各寮で待機する女の子たちと、部屋の空気
スタッフは韓国語混じりで手際よく話し、女の子たちは各寮で待機しているという。ワンルームやシェアハウスの一室が寮代わりになり、部屋の中にはスーツケースや化粧道具が並び、生活感と非日常が入り混じった空気が漂っていた。
机の上には大量の食べ残しや韓国の通販雑誌が積まれ、当時は店から貸し出されるプリペイド式のパカパカ携帯(ガラケー)が主流。2008年頃はまだスマホをほとんど見かけず、2009年頃になると韓国人スタッフの間でGalaxyが普及し始めていたのを覚えている。その異国の雰囲気と時代感に、私は一気に飲み込まれた。
紙のホテルマップだけを頼りに
「今は場所わかる?」と手渡されたのは、客室の住所が書かれたホテルマップだけ。ネットでの地図検索がまだ一般的でなかった時代、ホテルマップと勘で目的地を探し、ホテル街の路地を走り回った。スマホで簡単に位置情報を確認できる現代では想像もつかないが、あの頃は道を覚えることすら仕事の一部だった。
一人で走る夜と、教えられた“言い訳”
「警察に呼び止められても“送迎”って言えばいいから。」新人ドライバーが最初に受けるアドバイスがそれ。すべての夜が緊張と隣り合わせだったが、妙にその言葉に安心感を覚えたのも事実だ。
派遣ドライバー会社と、私の“例外”
韓国デリヘルの送迎業務には、専属のドライバー会社が存在していた。そこから各店舗へドライバーが派遣され、私は紹介でその会社に登録された。中には観光ビザや留学生が短期で働くことも多く、スタートダッシュの速い若い韓国人ドライバーたちの姿も目立った。彼らのスピード感や手際の良さに、この街のシステムが支えられているのを痛感した。
深く沈んでいく夜
深夜帯の街で生き抜く緊張感は、韓国語のやり取りや夜勤の空気が漂う寮の部屋と共に私を少しずつ染めていった。
「ここに道理は無いけど、ルールはある」
そう言われた夜から、裏社会の世界が静かに私の中に入り込んできた。